公開 更新履歴

「つまり」で話を広げるな。畳め。

目次

全部書いたけど念のためにこれも書いておくねという体で、後から大事なことを書いてくる記事をたまに見る。

“コナンが好きである。金田一も好きである。つまり私はジャンプが好きである。”

…みたいな、「つまり」の後に言い換えではなく、驚きの新事実を盛り込んでくる人、たまにいるよね。つまり私はこの用例にもやもやしている。 #自己矛盾

…というトゥートを末代に投げようと思ったけど、ネタなのか主張なのか分かりにくいので、いろいろ書いてたら、思いのほか長くなってしまった。タイムラインの海に流してもいいんだけど、ちょっともったいないので、ブログの肥やしにしようかなと。

書いた人しか知らないことは「つまり」よりも前に書いて欲しいんだけど。

デジタル大辞泉「詰り」の解説

「地図の上方、詰まり北方は山岳地帯である」

これは地図の上は北だってことが常識だから成り立つ。

地図の上が北だってことが常識じゃなかったら、ここで「つまり」を使われたところで、“なにそれしらない先におしえてよ…”ってなってしまう。

「つまり」は疑問を解消させる言葉であって、疑問を増やす言葉ではない気がするのだけど。

「つまり」って、今まで言ったことを短い言葉でまとめたり、違う言葉で言い直したりする時に使う言葉じゃないんかね。なので、今まで読んでごちゃごちゃしていた頭が、ここでスッとまとまるからこそ、生きてくる言葉だと思う。

それなのに、「つまり」以降に初めて出てくることが書いてあるから、逆に頭が散らかってしまう。書いた人は“そんなことは前提知識でしょ?”と思って書いてるのかもしれないけれど、読む人がそれを知っているとは限らないし、そもそも書いた人しか知らないことを「つまり」以降に書いてたりもする。

まとめるつもり、終わらせるつもりで書かれた言葉が、次週へ続くになっちゃってるんだから、そりゃもやもやしますよ。

言いたいことはきれいに書ききろう。

まあ、物語なら疑問を残すのも楽しいけど、主張だったらきれいに書き切りたいじゃない。つまり、そんなお話でした。